イザドラ・ダンカン 『魂の燃ゆるままに』

■自伝の中の名言格言 イザドラ・ダンカン『魂の燃ゆるままに』


芸術家はまさに愛する者であり、
そのときにのみ、人は美を純粋に見ることができるのだ。
そして、永遠の美を見つめる許しを得たとき、愛は魂そのものになる。



私の芸術は、しぐさや動きによって、
私という存在の真実を表現するためのものである。


私はあるダンスを発見しました。
二千年の間、忘れ去られていた芸術を発見したのです。
…それはギリシャ演劇をすばらしくしたもの、つまりダンスという芸術です。


私は逆に、体の中にある経路に流れ込み、
体全体を光の波動で満たしてゆく魂の表現の源を捜し求めた。
つまり、魂のビジョンや思いを映し出す遠心的な力を追い求めたのであった。


魂で音楽を聞きなさい。
聞いていると、深い所に内なる自分が目覚めてくるのを感じるでしょう?
あなた方の頭が上がるのも、腕が上がるのも、
光の方へとあなたがゆっくり歩いて行くのも、その力のせいなのですよ。


人は話し、次に歌い、そして踊らなくてはなりません。


体操家にとっては体の動きと訓練はそれ自体が目的であるが、
ダンスにとって、それは単なる手段にすぎない。
ダンスでは体そのものを忘れなければいけないのだ。


芸術は人生の喜びと奇跡を映す、ぼんやりとした鏡にすぎない。





魂の燃ゆるままに―イサドラ・ダンカン自伝】より

魂の燃ゆるままに―イサドラ・ダンカン自伝
魂の燃ゆるままに―イサドラ・ダンカン自伝
イサドラ ダンカン, 山川 亜希子, 山川 紘矢




■補足
イザドラ・ダンカン(1878-1927)はモダン・ダンスの創始者。
不自然に身体を拘束するものとしてバレエを嫌い、古代ギリシャ精神への回帰を唱え、体を締めつけないゆったりとした服装に裸足という格好で、自由で即興的な踊りを披露しました。

ちなみに、有名な話で、イザドラ・ダンカンとバーナード・ショーの次のやりとりがあります。

「私とあなたが結ばれれば、あなたの頭脳と私の美貌を併せ持った素晴らしい子供が出来ます」

とイザドラ・ダンカンがバーナード・ショーにプロポーズし、

「そうなればしめたものだ。だけど考えてみたまえ。逆もあり得ることを。もしも私の美貌と君の頭脳を併せ持った子供が生まれてきたら、その子は何て悲惨なことになるかを」

とバーナード・ショーが答えたというもの。

強烈なバーナード・ショー流の皮肉ですが、実際にイザドラ・ダンカン自身がそのような悲惨な頭脳の持ち主だったというわけではなく、少女の頃よりの読書家で、相当の教養人でもありました。

そして、その教養の下支えもあってか、イザドラ・ダンカンはしっかりとしたダンス理論を残し、学校を作り、数多くの後継者を育成しています。

その残されたイザドラ・ダンカンのダンス理論は、現代の様々なダンスに大きな影響を与えています。現代において身体表現を行うものなら、少なからずダンカンの影響があるといってもよいかもしれません。

『魂の燃ゆるままに―イサドラ・ダンカン自伝』は、ダンスに携わる人なら一度は読みたい一冊です。

『ジャック・ニクラウス自伝』

■プロゴルファーの名言・格言 『ジャック・ニクラウス自伝』


そうさ、私はラッキーだったんだ。
そして一生懸命練習すればするほど、ラッキーはたくさん起こるのさ。



人生のあらゆるところ道しるべは立っている。
それは人生の分岐点であり、そこを境に人生がいい方、悪い方へと分かれていく。
しかし、たいていの場合どちらを選んだかは、ずいぶん後になってからわかるものである。


球を遠くに飛ばすことより、
自分をコントロールすることが勝敗に結びつくことを私は理解した。
なぜならゴルファーはつねにゲームに挑み、
挫折と闘っていかなければならず、それは永遠に変わることはないからだ。


夢はモティベーションを駆り立てるが、
夢を実現させるにはもっと具体的な要因、知識と努力が必要だ。


感動の理由は、私が周りの人たちに勝ったことにあると思う人も多いかもしれないが、
そうではなく、最強の敵である自分自身を征服できたことにあるのだ。


パットは成功させようと無理強いすると激しく抵抗し、反撃に出ようとする。


勝つことに対する恐怖は負けることに対する恐怖よりも乗り越えるのが難しい。


勝てば勝つほどふたたび勝つことへの恐怖は少なくなり、
成功が恐ろしいものではなくなるのである


成功したアスリートにとっては、手に入れることにあまりに慣れすぎてしまって、
与えるという考えが決して心に浮かばないことがしばしばある。


たとえ時間はかかっても、
ゴルファーが結局は自分自身で自分にとってベストなプレー方法を
誰の助けも借りずに見つけてしっかり身につけたとき、
その人は強い競争力をつくり出す自信の深みを手にする。


認めようが認めまいが、成功した人物は誰でも自分のエゴと闘う困難を経験する。
ある領域で卓越している場合、企てるその他の何においても、
そのまま同じように成功すると信じ込んでしまうのは簡単なことだ。


あらゆる教訓の中でもっとも重要なのは、
周辺的事業活動から中心部分へ移行し、そこにとどまるということだ。


自分自身とコースだけが、何でもできる二つの対象なのだ。
頭のいい選手はだから、最初のティ・ショットを打つときから、
最後のパットを沈める瞬間まで、人格を心から切り離す習慣を素早く身につけるのだ。


ボールをカップにできるかぎり近くに寄せていれば、
ある時点からパットは入り始めるものなのである。


偉大な選手とうまい選手とを分けるのは、
もっとも必要なときに、信じがたいショットを打つようにイメージし、強く念じる能力にある。





ジャック・ニクラウス自伝】より

ジャック・ニクラウス自伝
ジャック・ニクラウス自伝
ジャック ニクラウス, ケン バウデン, Jack Nicklaus, 菊谷 匡祐



■補足

Jack William Nicklaus(1940- )
ジャック・ニクラウスは「帝王」と呼ばれたプロゴルファー。
圧倒的な強さで勝利を重ね、世界4大メジャー大会である
マスターズ、全米オープン、全英オープン、全米プロゴルフ選手権の
すべてを制覇し、史上4人目のキャリア・グランドスラムを達成。
その後も1986年にマスターズでの最年長優勝記録(46歳)を樹立しています。

『ジャック・ニクラウス自伝』は、
ジャック・ニクラウスの初の回顧録。
メジャー大会に挑み続けたジャック・ニクラウスの努力や忍耐、
勝つ続けるための発想が語られています。

自分を信じ、努力の力を確信している人物ですが、
“運に左右されるものを上手に受け入れる”ということも、
長く勝ち続けてきた発想の一つになっているようです。


私にとってパットの本質とは、
われわれが簡単に納得できるよりもはるかに難しく運に左右される部分も多いが、
この真実を上手に受け入れられるようになればなるほど、
ゲーム全体を破滅させるような危険を冒すことは少なくなる――ということである。


ゴルフに関してはいつでも勝つより負ける方がずっと多い。
だから健全な考え方を保っていたければ――
そして周りの人の健全さを守りたければ――
この事実とともに平穏に生きていくため、
とにかく運命論を心に呼び起こさねばならないのである。



自分の計画通りにいかないことを念頭に入れることが、
精神的な健康のためにも、
長く勝ち続けていくために必要な発想であるということしょうか。

また、自分で自由になるものをどのように変えていき、
自分で自由にならないものをどのように受け入れていくか、
ということでもあるように思います。


自己コントロールの達人であり、
勝利を獲得し続けてきたジャック・ニクラウスの
『ジャック・ニクラウス自伝』は、
ゴルフファンやゴルフが好きな人だけでなく、
人生での成功を求めている人に、オススメできる一冊だと思います。



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ジャック・ニクラウス『勝利の決断19条』

エッカーマン 『ゲーテとの対話 下』

■詩人・文学者の名言・格言『ゲーテとの対話 下』




真理というのは、その光を一方だけではなく
多くの方向に放つダイヤモンドにも似ているといえよう。
byゲーテ



恋愛と知性がなにか関係でもあるというのかね?
われわれが若い女性を愛するのは、
知性のためではなく、別のもののためさ。
byゲーテ


私はあらゆる暴力的な革命を憎むのだ。
そのさい良いものが得られるとしても、
それと同じくらい良いものが破壊されてしまうからだよ。
byゲーテ


美は、根源現象なのだ。
だからなるほど、それ自体は現れることはないにしても、
その反映は、無数のさまざまな創造的な精神のあらわれの中に見られるわけだよ。
byゲーテ


天才的な人物で、それには特別な事情があるのさ。
ほかの人々には青春は一回しかないが、
この人びとには、反復する思春期があるのだね。
byゲーテ


一切は時と場合が問題なのさ。
ある人には役立つものも、ほかの人には毒になる。
byゲーテ


われわれがもうほとんど希望を失ってしまったときにかぎって、
われわれにとって良いことが準備されるのだよ。
byゲーテ






エッカーマン【ゲーテとの対話 下  岩波文庫 赤 409-3】より

ゲーテとの対話 下    岩波文庫 赤 409-3
ゲーテとの対話 下  岩波文庫 赤 409-3
エッカーマン, 山下 肇




■補足

ゲーテとの対話 上は著者エッカーマンと晩年のゲーテとの、
文学、芸術、科学等の様々な分野にわたる、
会話のやりとりをまとめたもの。
ゲーテの人物や考え方、その精神性が伝わる一冊です。




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エッカーマン『ゲーテとの対話 上』
エッカーマン『ゲーテとの対話 中』

エッカーマン『ゲーテとの対話 中』

■詩人・文学者の名言・格言『ゲーテとの対話 中』



真理というものはたえず反復して取り上げられねばならないのだ。
誤謬が、私たちのまわりで、たえず語られているからだ。
byゲーテ



しかし、それは、間違った読書法だな。
あの人物がすきだとかこの性格が
気に入ったなどということが問題なのではなく、
その書物が気に入ったかどうかが、大切なのさ。
byゲーテ


私の作品は大衆のために書いたものではなく、
同じようなものを好んだり求めたり、
同じような傾向をとろうとしているほんの一握りの人たちのためのものなのだ。
byゲーテ


いつも決定的に純粋なもの、倫理的なもの、
だけにそれを求めようとするのは警戒しなければいけないよ。
およそ偉大なものはすべて、
われわれがそれに気付きさえすれば、必ず人間形成に役立つものだ。
byゲーテ


理性がポピュラーなものになるとは、とても考えられないことだ。
情熱や感情ならポピュラーになるかもしれないが、
理性は、いつの世になってもすぐれた個々の人間のものでしかないからね。
byゲーテ


自然は、けっして冗談というものを理解してくれない。
自然は、つねに真実であり、つねにまじめであり、つねに厳しいものだ。
byゲーテ


自然は、生半可な人間を軽蔑し、
ただ、力の充実した者、真実で純粋な者だけに服従して、秘密を打ち明ける。
byゲーテ


われわれは仮説という想像の島々に向かって船を漕ぎだすが、
おそらく真の綜合は、おそらくいつまでも未知の大陸に留まるだろう。
byゲーテ


われわれは、子供のころは、感覚論者だ。
恋をして、恋人に、現実には存在しない性質を見るようになると、
理想主義者になる。
この恋もぐらつきだして、誠実さというものを疑うようになると、
いつのまにやら懐疑主義者になる。
そうなると、あとの人生はどうでもよくなる。
われわれは、なるがままに任せるようになり、
ついにはインドの哲学者たちみたいに、静寂主義になるというわけだ。
byゲーテ


自分自身を知るのは、楽しんでいるときか、悩んでいるときだけだ。
また、悩みと喜びを通してのみ、
自分が何を求め何を避けねばならぬかを教えられる。
byゲーテ


精神の意志の力で成功しないような場合には、好機の到来を待つほかないね。
byゲーテ


人間は、自分自身ではいい表せないことを
言いつくしてもらいたいばかりに、詩人を必要とするのですね。
byエッカーマン


誤謬は図書館の中にあり、真理は人間の精神の中にある。
byゲーテ


憎悪は人を傷つけないが、軽蔑は人を破滅させる。
byゲーテ


目的を尋ねる質問、つまり、なぜという質問はまったく学問的でない。
だが、どうしてという質問ならば、一歩先に進めることができる。
byゲーテ


われわれの生涯の事実に価値があるのは、
それが真実だからでなく、何らかの意味をもっていたからなのさ。
byゲーテ





エッカーマン【ゲーテとの対話 中 (2)】より

ゲーテとの対話 中 (2)
ゲーテとの対話 中 (2)
エッカーマン, 山下 肇




■補足
ゲーテとの対話 中 (2)は著者エッカーマンと晩年のゲーテとの、
文学、芸術、科学等の様々な分野にわたる、
会話のやりとりをまとめたもの。
ゲーテの人物や考え方、その精神性が伝わる一冊です。




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V・E・フランクル『フランクル回想録―20世紀を生きて』

■心理学(自伝)の名言・格言『フランクル回想録―20世紀を生きて』

 

 

 

 

そもそもわれわれが人生の意味を問うべきなのではなく、
われわれ自身が問われているものであり、
人生がわれわれに出した問いに答えなければならない。



自分がこれまで本当に偉大な思想家であったとは思えない。
ただ、最後まで考え抜く人間であったとは言えるかもしれない。


祝福させたまえ、その運命を。
信じさせたまえ、その意味を。


“他の条件が同じならば”、未来に向かって方向づけられている人々、
つまり将来果たすべき意味によって待たれている人々の方が
容易に生き延びることができたのである。


私の両親、弟、そしてティリー(フランクルの最初の妻)の死を報告した。
今でも覚えている、私は突然泣き出して、彼に言った。
「パウル、こんなにたくさんのことがいっぺんに起こって、
これほどの試練を受けるのには、何か意味があるはずだよね。
僕には感じられるんだ。
あたかも何かが僕を待っている、
何かが僕に期待している、
何かが僕から求めている、
僕は何かのために運命づけられているとしかいいようがないんだ。」


絶対的な真理に到達できない以上、私たちは相対的な心理を互いに修正し合い、
一方性への勇気を奮い起こすことで満足しなければなりません。
さまざまな意見が入り乱れる精神療法というオーケストラの中で、
私たちは、自ら自覚している一方性を貫くことに権利を持ち、
また同時に義務を有しているのであります。


あなたの人生の意味は、
他の人たちがそれぞれの人生の意味を見いだすのを手助けすることです。





V・E・フランクル【フランクル回想録―20世紀を生きて】より

フランクル回想録―20世紀を生きて
フランクル回想録―20世紀を生きて
ヴィクトール・E. フランクル, Victor E. Frankl, 山田 邦男

 

 

 


■補足

 

 

 

 

 

Viktor Emil Frankl(1905-1997)
ヴィクトール・エミール・フランクルはウィーン生まれの精神科医、心理学者。
意味による癒し“ロゴセラピー”の発案者であり、
ナチスによって強制収容所に送られた体験を持ち、
その時の強制収容所体験記録夜と霧という著作があります。

フランクル回想録―20世紀を生きては、
激動の生涯を見事に生ききったフランクルの回想録。

フランクルの著作には、
“人生に期待するのは間違っている。人生の方が私たちに期待しているのだ。”
という大胆な発想である「人生の問いのコペルニクス的転換」など、
人生を生きていく上での考え方、ヒントが数多く詰まっています。

ちなみに、青年所相談所を設立していたフランクルは、
1930年特別キャンペーンを実施し、
ウィーンの学生の自殺者をゼロにしたことがあるそうです。

その他にも、フランクルの著書に感想を送ってきた人の多くは、
極限状態にあったり自殺志願者であったりする人で、
フランクルの著作を読み、人生の意味を感じ、
自殺を思いとどまった人は多いそうです。

現在日本では年間三万人を超える方が自殺で亡くなっていたり、
“鬱(うつ)”の問題があったりしますが、
そんなフランクルの著作は、
人生に対して無意味感を感じている人、
または悩みや苦しみの渦中にある人にとって、
救いの一冊になるかもしれません。

 

 

 

 

 


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V・E・フランクル『夜と霧』
V・E・フランクル『生きる意味を求めて』

 

エッカーマン『ゲーテとの対話』

■詩人・文学者の名言・格言『ゲーテとの対話 上』




人間のもっているさまざまの力を同時に育てることは、
望ましいことであり、世にもすばらしいことだ。
しかし人間は、生まれつきそうはできていないのであって、
実は一人ひとりが自分を特殊な存在につくりあげなければならないのだ。
byゲーテ



しかし、今はもう迷う時代ではないよ、
われわれ老人の時代はそれだったんだが、
それにしても、
君たちのような若い人たちが
またしても同じ道をたどろうということになると、
いったいわれわれが求めたり迷ったりしたことのすべては
何の役に立ったことになるのだろう。
byゲーテ


詩はすべて機会の詩でなければいけない。
byゲーテ


現実には詩的な興味が欠けている、などといってはいけない。
というのは、まさに詩人たるものは、
平凡な対象からも興味ぶかい側面をつかみだすくらいに
豊富な精神の活動力を発揮してこそ詩人たるの価値があるのだから。
byゲーテ


全体のどこかうまくいかないところがあると、
個々の部分はどんなによくても、
全体としては不完全なものになり、
君は完璧な仕事をしたことにならない。
しかし、ただ君の手にあうような個々の部分だけを
それぞれ独立して表現するなら、それはきっとよいものができる。
byゲーテ


描かれうるものは、石から人間にいたるまで、すべて普遍性をもっている。
byゲーテ


対象がだめなら、どんな才能だって無駄さ。
近代の芸術がみな停滞しているのも、
まさに近代の芸術家に、品位ある対象が欠けているからだよ。
byゲーテ


どんな状態にも、どの瞬間にも、無限の価値があるものだ。
なぜなら、それは一つのまったき永遠の姿、その代表なのだからね。
byゲーテ


独創はまたとかく迷いにおちこみやすいものだからな。
byゲーテ


一切の思考は、思考そのもののためには何の役にも立たないのだよ。
byゲーテ


おおよそ、作家の文体というものは、その内面を忠実に表わす。
明晰な文章を書こうと思うなら、
その前に、彼の魂の中が明晰でなければだめだし、
スケールの大きい文章を書こうとするなら、
スケールの大きい性格を持たなければならない。
byゲーテ


もし自分の生まれつきの傾向を克服しようと努めないのなら、
教養などというものは、そもそも何のためにあるというのかね。
他人を自分に同調させようなどと望むのは、そもそも馬鹿げた話だよ。
byゲーテ


性に合わない人たちとつきあってこそ、
うまくやって行くために自制しなければならないし、
それを通して、われわれの心の中にある
いろいろちがった側面が刺激されて、発展し完成するのであって、
やがて、誰とぶつかってもびくともしないようになるわけだ。
byゲーテ


人間は、たがいにぶつかりあいながら、水に浮かんでいる壺である。
byゲーテ


われわれは、朝起きたときが、一番賢明である。
が、また、一番心配も多い。
というのは、心配はある意味では賢明と同義だ、
それは、受け身の賢明さだろうが。
愚者は、けっして心配をしない。
byゲーテ


人は、青春のあやまちを老年に持ちこんではならない。
老年には老年自身の欠点があるのだから。
byゲーテ


自然は、自然の道を行く。
…われわれには例外と見えるものも、じつは法則にかなっているのだ。
byゲーテ


否定的であることは、無に通ずる。
私が悪いものを悪いといったところで、いったい何が得られるだろう?
だが良いものを悪いといったら、ことは大きくなる。
byゲーテ


不幸なのは、
国家の場合では、誰一人として生活をたのしもうとする者もなく、
みんながよってたかって支配したがることであり、
芸術の場合では、みんながみんな創造されたものを享受しようとはせず、
自分の手でまた創造しようとすることである。
byゲーテ


人間というものは、
この世のさまざまな問題を解いてみせるために生まれてきたわけではない。
問題の発端がどこにひそんでいるのかを探りだし、
それから先は理解できる範囲内に自分をとどめておくべきなのだ。
byゲーテ


主観的な性質の人は、わずかばかりの内面をすぐに吐き出してしまって、
結局マンネリズムにおちいって自滅してしまう。
byゲーテ


後退と解体の過程にある時代というものはすべていつも主観的なものだ。
逆に、前進しつつある時代はつねに客観的な方向を目指している。
byゲーテ


有意義な努力というものは、
すべて偉大な時期ならどの時期にも見られるように、
内面から出発して世界へ向かう。
そういう時代は、現実に努力と前進を続けて、
すべて客観的な性格をそなえていたのだよ。
byゲーテ


われわれの外にあるもので、
同時にわれわれの中にないようなものはないのだ。
byゲーテ


もし世界というものが、これほど単純でなかったら、
いつまでも存在することは不可能だろうね。
byゲーテ






エッカーマン【ゲーテとの対話 上】より

ゲーテとの対話 上   岩波文庫 赤 409-1
ゲーテとの対話 上 岩波文庫 赤 409-1
エッカーマン, 山下 肇




■補足
ゲーテとの対話 上は著者エッカーマンと晩年のゲーテとの、
文学、芸術、科学等の様々な分野にわたる、
会話のやりとりをまとめたもの。
ゲーテの人物や考え方、その精神性が伝わる一冊です。



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エッカーマン『ゲーテとの対話 中』
エッカーマン『ゲーテとの対話 下』

『奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝』

■偉人・歴史上の人物の名言・格言 『奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝』



“喜びは、自分を忘れることにあるのだ”と。
だから私は、人の目に入る光をわが太陽とし、
人の耳に聞こえる音楽を私の華麗なシンフォニーにしよう。
人の唇から漏れる微笑みを、
自分の幸せと感じられる人間に私はなりたい。



知識は愛であり光であり、未来を見通す力なのだ


すべてのものには名前があった。
そして名前をひとつ知るたびに、新たな考えが浮かんでくる。
家へ戻る途中、手で触れたものすべてが、
いのちをもって震えているように思えた。


雲にさわることはできないでしょう?
それでも雨が降ってくるのはわかるし、
暑い日には、花も乾いた大地も雨を喜んでいるのがわかるでしょう?
それは愛と同じなのよ。
愛も手で触れることはできません。
だけど、愛が注がれる時のやさしさを感じることはできます。
愛があるから、喜びが湧いてくるし、
遊びたい気持ちも起きるのよ…
byヘレンの家庭教師アン・サリバン
(ヘレンに「愛」を教えるときに語った言葉)


頂上へは楽な道などない。
それなら私は自分なりにジグザグに登ればいい。


“知識は力なり”という。しかし私は、知識とは幸福だと思う。


一人ひとりが、
緑の地球とささやく水の記憶を潜在意識の中に持っている。
だから、たとえ目と耳を失っても、
この過去からの贈り物を奪うことはできない。


目の見えない人間が、手で触れただけで、
冷たい大理石の中に動き、感情、美を読み取れると聞いて、
不思議に思う人も多いだろう。
それでも、偉大な美術品に触れることで、
私が心からの喜びを得られることは事実なのである。


すべては驚きに満ちている。暗闇と沈黙の世界も例外ではない。
だから、私はどんな境遇にあっても、満足することを学んだのだ。





奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝】より

奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝
奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝
ヘレン ケラー, Helen Keller, 小倉 慶郎




■補足
奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝はヘレン・ケラーが22歳の時の自伝。
三重の障害を乗り越えたヘレン・ケラーといえば、
子どもの頃に伝記を読んだ人は多くても、
その著作を読んだ人は少ないかも知れません。
この自伝はヘレン・ケラー本人の言葉で綴られていますので、
伝記と違い、若かりし頃のヘレン・ケラーが持っていた
幅広く限りない好奇心や、その心の美しさがとてもよく伝わってきます。

また、翻訳が綺麗です。
やや訳の古い角川文庫の『私の生涯』と比較すると、

角川文庫『私の生涯』では
「知識は愛なり、光なり、幻なり」と翻訳されているところが

奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝では
「知識は愛であり光であり、未来を見通す力なのだ」と訳されています。

後者の方が意味が通じるものになっていると思われます。
そのほかも読み比べると詩的な文章が綺麗に翻訳されていて、
とても理解しやすくなっています。




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