ジョエル・オスティーン 『あなたはできる』

■宗教書の名言格言 『あなたはできる



世の人たちはよく「目に見えることしか信じない」と言います。
神は、それとは正反対のことをおっしゃっています。
「信じたときだけ、見ることができる」と。


生き方を変えるなら、
まず考え方を変えなくてはいけません。


幸せを感じるには、
まず幸せなことを考えなくてはいけません。


まずは根のほうをなんとかしなきかぎり、
実を変えることはできません。
内側で根が成長するかぎり、
問題はいつまでもなくならないのです。


成功をつかみ幸せで満ち足りている人は、
今を最高のかたちで生きる方法を習得しています。
彼らは今この瞬間から得られるものを最大限に引き出し、
それを未来へとつなげていくのです。





あなたはできる 運命が変わる7つのステップ】より

あなたはできる 運命が変わる7つのステップ
あなたはできる 運命が変わる7つのステップ
ジョエル・オスティーン




■補足
“求めよ、さらば与えられん”
“尋ねよ、さらば見出さん”
“叩けよ、さらば開かれん”


とは新約聖書の中の言葉ですが、やはり、何かを実現した人々は、自分から求めて努力をし、自分自身を変え、一つの結果を生み出しているように思われます。

本書の著者ジョエル・オスティーン氏は、大きな夢を実現させている人間の一人です。

父親である人気説教師ジョン・オスティーンからレイクウッド教会を受け継ぎ、さらにアメリカで最大の信徒数を集める教会に発展させました。

現在は、毎週末の講演で数万単位の人を集めるメガ・チャーチとなっています。

本書『あなたはできる 運命が変わる7つのステップ』の中では、レイクウッド教会をアメリカナンバー1に発展させた力である、「心に希望を描く力」「信じる力」について書かれています。

読者の人生観を明るくする、希望と夢に満ちた一冊です。



■関連書籍
奇跡はあなたの口にある!
| 哲学・思想・宗教の名言・格言 | 00:41 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

アリストテレス『弁論術』

■哲学の名言格言 アリストテレス『弁論術


言論が詭弁であるかどうかは、技術の働きそのものによってではなく、
論者の意図によって決まる。



同じ自分の身を守ることができないというのでも、
身体を使ってそれができないのは恥ずべきことであるのに、
言論を用いてできないのは恥ずべきでないとしたら、
これはおかしなことである。


特定の個人にとってのよいものではないもの、は美しい。
なぜなら、特定の個人にとってよいものは、自己中心的だからである。


愛している時と憎んでいる時とでは、
また、腹を立てている時と穏やかな時とでは、
同じ一つのものが同じには見えず、全く別物に見えるか、
或いは大きく異なったものに見えるかするものである。


上手に冗談をとばすことも、
冗談をうまく受け止めることもできる人々も、友人である。
なぜなら、これらの人々は、相手がからかうのを笑って聞き流すこともできるし、
即妙に切り返しもするので、いずれも、共に楽しむという、
隣人と同じ目標にひた進むことになるからである。


一般的に言って、何かに関して世の評判を得たいと望む者は、
そのものに関しては妬み深い。また、狭量な人々もそうである。
なぜなら、彼らには何でも大きく見えるから。


世に言われるような仕方で友を愛すべきではなく、
いつまでも愛し続けるつもりで愛さなければならない。
なぜなら、もう一方の愛し方は裏切り者のすることだから。





アリストテレス【弁論術】より

弁論術
弁論術




■補足
アリストテレスの弁論術は、プラトンが経験による慣れにすぎないとした従来の弁論術を、

「どんな場合でもそのそれぞれについて可能な説得の方法を見つけ出す能力」

と定義し直し、後世の弁論術に多大な影響を与えた一冊です。

アリストテレスの弁論術は、技術論が中心ですが、「ある一方の主張を押し通すこと」というような、自分の主張を通すための説得技術ではなく、「悪いことは説得すべきでない」という倫理感も内包した内容になっています。

「弁論術は、弁証術における推論がそうであるように、相反する主張のいずれについても説得することが必要とされているからである。だがそれは、相反することの両方を説得することを目指しているのでなく(なぜなら悪いことは説得すべきでないから)事の真相がどうであるかを見落とすことのないためであり、また、他の誰かが議論の扱いを正しく行っていないときには、われわれが直接にそれに反論できることを目的としているのである。」

また、内容の三分の一は心理学的な内容で、人の感情について多方面にわたって分析されていますので、心理学的なものに興味のある人にも面白く読めるかもしれません。



○アリストテレスの他の書籍
ニコマコス倫理学〈上〉 ニコマコス倫理学 下    岩波文庫 青 604-2 心とは何か
| 哲学・思想・宗教の名言・格言 | 02:25 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

マザー・テレサ 『愛と祈りのことば』

■マザー・テレサの名言・格言 『愛と祈りのことば』



私は、親切にしすぎて間違いを犯すことの方が、
親切と無関係に奇跡を行うことより、好きです。



祈るために、仕事を中断する必要はないのです。
仕事を祈りであるかのようにし続ければよいのです。


自分のことへの思い煩いでいっぱいだと、
他人のことを考えるひまがなくなってしまいます。


一緒に働いている人たちにいつも言っていること。
「余った物、残り物は要りません。私たちが仕えている貧しい人たちは、
あなた方からの憐れみも、見下すような態度も必要としていないのです。
彼らが必要としているのは、あなた方の愛と親切なのです。


今や、貧しい人々について語ることが一つの流行になっています。
しかし、残念なことに、貧しい人々と共に話すことを人はあまり好みません。


大切なことは、たくさんのことをなし遂げることでも、
何もかもをすることでもありません。
大切なことは、いつでも何に対しても喜んでする気持ちがあるかどうかなのです。


私の考えは間違っているでしょうか?
いずれにせよ、もし過ちを犯すとしたら、
愛が原因で間違った方がいいと思っています。


世界の平和は、まず家庭の平和から始まります。


平和は、ほほえみから始まります。


一緒に住んでいたり、
または血のつながった親族といった人たちにほほえみかけることは、
あまり親しくない人々に対してほほえみかけるよりむずかしい時があるものです。
「愛は近きより」ということを忘れないようにしましょう。





マザー・テレサ 愛と祈りのことば】より

マザー・テレサ 愛と祈りのことば
マザー・テレサ 愛と祈りのことば
ホセ ルイス・ゴンザレス‐バラド, Jos´e Luis Gonz´alez‐Balado, 渡辺 和子




■補足
マザー・テレサ(Mother Teresa 1910-1997)は、“神の愛の宣教者会”の設立者。貧しい人々のための精力的な救済活動を行い続けていました。堕胎防止のための活動なども行っています。

『マザー・テレサ 愛と祈りのことば』は、マザー・テレサが各地でシスターや共働者たちに語ってきた言葉を集めた語録集。

マザー・テレサほど“献身的な愛”に生きた人物は、非常に数少ないのではないかと思います。愛についての言葉は数多くありますが、実際に献身的な愛に生きたマザー・テレサの言葉は、強い説得力を持っているように感じられます。

以下にマザー・テレサの愛に関する言葉を並べて紹介してみます。


愛は近きより


愛の反対は憎しみではなく、無関心である。


いずれにせよ、もし過ちを犯すとしたら、
愛が原因で間違った方がいいと思っています。


私がお願いすること。飽くことなく与え続けてください。
しかし残り物を与えないでください。


喜びのときも悲しみのときも、
成功したときも失敗したときも、
その人の愛があなたのかたわらにあるとわかる、
それこそがほんとうの友情であるわけですね。
ですから、どんな状況にあっても変わらないのがほんとうの友情です。


どんな人にあってもまずその人のなかにある美しいものを見るようにしています。
この人のなかでいちばんすばらしいものはなんだろう、
そこから始めようとしております。
そうしますと、かならず美しいところが見つかって、
そうすると私はその人を愛することができるようになって、
それが愛のはじまりとなります。


まことの愛というものは、
私たちが、分かちあうことを自分で会得したとき、
はじめてもたらされるものなのです。


愛は家庭で始まります。
自分自身の家庭に愛が持てなければ、
外の人びとを愛することはできません。



参考書籍:
マザー・テレサ 愛と祈りのことば
マザー・テレサ『生命あるすべてのものに



○その他にも、今まで集めた“愛についての言葉”を以下にまとめて紹介します。マザー・テレサの言葉との共通点や、視点の違いなどを比較しながら読むと面白いかもしれません。


愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。
by『ヨハネの第一の手紙』より


許す力に欠けているものは、愛する力にも欠けている。
byマーティン・ルーサー・キング
『汝の敵を愛せよ』より



愛は、自分のことと同じようにほかの人の立場を気にかけるものなんだ。
byモリー先生
『モリー先生との火曜日』より



愛されることのなかではなく、愛すことのなかで、心は祝福を得ます。
byジェームズ・アレン
『「原因と結果」の法則◆戮茲



愛情の受け手になることは、幸福の強い原因である。
しかし、愛情を要求する人は、愛情が与えられる人ではない。
byバートランド・ラッセル
『幸福論』より



愛は知ることから始まるのです。
「知る」は、話を傾聴することから始まります。
by東山紘久
『プロカウンセラーのコミュニケーション術』より



愛情というのは、
条件を課すことなく相手によって否応なしの状態を強いられることなく、
自由な状態でいることを許すような結びつきである。
byウエイン・W・ダイアー
『自分のための人生』より



人を許すことは大変に難しい。
特に相手に可愛気がなく、
しかもあなたに対して間違いを繰り返している場合はなおさらだ。
しかし皮肉なことに、
そうした可愛気のない人間ほど愛情を必要としている人もいないのである。
アラン・L・マクギニス
『今できることから始めよ!』より



今以上にもっと愛情豊かになった時には、
今以上に積極思考者となっているだろうし、
逆を言えば、もっと積極的になった時には、
自分が以前より大きな愛情をもっていることに気がつくだろう。
byアラン・L・マクギニス
『今できることから始めよ!』より



苦痛を避ける者には、愛する意志がかけている。
byノヴァーリス『ノヴァーリス全集3巻』より


愛は元来、神性の一部であって、人間の心には生まれないものである。
ほんとうに愛を持つ人は、
それが自分の所有でないことをはっきり知っているであろう。
byカール・ヒルティ
『幸福論 第一部』より



雲にさわることはできないでしょう?
それでも雨が降ってくるのはわかるし、
暑い日には、花も乾いた大地も雨を喜んでいるのがわかるでしょう?
それは愛と同じなのよ。
愛も手で触れることはできません。
だけど、愛が注がれる時のやさしさを感じることはできます。
愛があるから、喜びが湧いてくるし、遊びたい気持ちも起きるのよ…
byアン・サリバン
『奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝』



肉体を抱くことではない、羽毛とも、光ともいえる、
そのからだを借りていた重たさのない天使を抱くことこそ、
愛するということだったのだ…
byサン・テグジュペリ
『人生に意味を』より



魂の揺るぎない深遠な領域で隣人を愛するということは、
他者の中の永遠なるものを愛することなのだ。
byモーリス・メーテルリンク
『貧者の宝』より



他の人々にとっても、それぞれの自己が愛しいのである。
それ故に、自己を愛する人は、他人を害してはならない
by釈迦
『ブッダ・神々との対話』より



この世には愛がある、その愛を探し求めよ、
というのはおかしいのではないかとわたしは思います。
愛とは、わたしたち自身の心の中にあるものです。
心に愛のある人が、愛を生み出すことができるのです。
byドロシー・ロー・ノルト
『子どもが育つ魔法の言葉』より



愛というカクテルは、
材料を入れる順に十分注意を払わないと台無しになってしまう。
byティム・サンダース
『デキる人の法則』より



さあ、沈黙の愛が書いたものを読みとってくれ。
眼で聞くことこそ、愛が生んだすばらしい知恵だ。
byシェイクスピア
『ソネット集』より



愛は嵐を見つめながら、揺るぎもせず、
いつまでも、しっかりと立ち続ける燈台なのだ。
byシェイクスピア
『ソネット集』より



愛は技術だろうか。
技術だとしたら、知識と努力が必要だ。
byエーリッヒ・フロム
『愛するということ』



愛とは愛を生む力であり、
愛せないということは愛を生むことができないということである。
byエーリッヒ・フロム
『愛するということ』



“愛は自由の子”であり、けっして支配の子ではない。
byエーリッヒ・フロム
『愛するということ』



一人の人をほんとうに愛するとは、すべての人を愛することであり、
世界を愛し、生命を愛することである。
byエーリッヒ・フロム
『愛するということ』



自分の役に立たない者を愛するときにはじめて、愛は開花する。
byエーリッヒ・フロム
『愛するということ』



誰かを愛するというのはたんなる激しい感情ではない。
それは決意であり、決断であり、約束である。
もし愛がたんなる感情にすぎないとしたら、
“あなたを永遠に愛します”という約束はなんの根拠もないことになる。
byエーリッヒ・フロム
『愛するということ』



一人でいられる能力こそ、愛する能力の前提条件なのだ。
byエーリッヒ・フロム
『愛するということ』



愛するということは、なんの保証もないのに行動を起こすことであり、
こちらが愛せばきっと相手の心にも愛が生まれるだろうという希望に、
全面的に自分をゆだねることである。
byエーリッヒ・フロム
『愛するということ』



知識が確実になるに従って愛も熱烈になる。
byレオナルド・ダ・ヴィンチ
『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記 上』より



愛するというのは、実は、素晴らしさを味わうことではない。
嫌なところを受け入れることなのだ。
by鈴木 秀子
『愛と癒しのコミュニオン』より



いいところを好きになることは、誰にでもできる。
でも、それは愛ではなく、単なる好き嫌いなのである。
by鈴木 秀子
『愛と癒しのコミュニオン』より



“愛とは決してあやまりの言葉を口にしないこと”
(映画「ある愛の詩」の中のセリフ)
…しかしこれほど自己中心的な言いぐさもないだろう。
私ならこういいかえたいところだね。
“愛とは心からあやまれること”だと。
『あなたを危機から救う一分間謝罪法』より





| 哲学・思想・宗教の名言・格言 | 02:27 | comments(7) | trackbacks(13) | - | - |

ベルクソン 『笑い』

■哲学の名言・格言 ベルクソン『笑い』


虚栄心の特効薬は笑いであり、
そして本質的に笑うべき欠点は虚栄心である。



純粋に理智の人たちの社会においては、
人は多分もはや泣くということはないであろう。
だが、依然として恐らく笑うことはあるであろう。


引き離れてみたまえ、われ関せずの見物人となって生に臨んでみたまえ。
多くのドラマは喜劇に変ずるであろう。


よき読書家には俳優の素質があるのと同様に、
機智の人には、幾分詩人的なところがある。


おかしみの中に不条理に出くわしても、それは何でも構わない不条理ではない。
それは一定のちゃんとした不条理である。
それがおかしみを創造するのではなく、
むしろそれがおかしみから出て来ているのである。


笑いもあぶく玉を立てる。それは陽気である。
がしかし、それを味わうためにこの泡を採集する哲学者は、
時としてそこに、ほんの少量だが、一抹の苦味を嘗めさせられるであろう。




ベルクソン【笑い】より

笑い
笑い
アンリ・ベルクソン, 林 達夫




■補足
Henri Bergson(1859-1941)
アンリ・ベルクソンは、フランスの哲学者。

ベルクソンの『笑い』は、
笑いについて研究された本で最も有名な一冊。

近年お笑いブームですが、笑いにも、“いい笑い”、“あまりよくない笑い”があるように感じている人がいるかもしれません。「笑いの中には優越感が潜んでいる」とも言われます。場を盛り上げる為に、自虐的、他虐的なネタを簡単に使ってしまうものですが、ベルクソンの『笑い』は、そのような“笑い”の本質を考える際にとても重要な一冊です。

本書のポイントを抜き出すとすると、

・笑いの中の人間性
・笑いに伴う無感動
・笑いの中の社会性


の三つになるかと思います。


○笑いの中の人間性

人は動物や物に対して笑うことがありますが、本書には次のように書かれています。

固有の意味で人間的であるということを抜きにしてはおかしみのあるものはない。

例えば、ある帽子がおかしいとしたら、そこに人間的な何かを感じ取ったときに人は笑うというような意味です。逆に人間に対しておかしみを感じるときは、“機械的なこわばり”があるとベルクソンは指摘しています。


○笑いに伴う無感動

「笑いに伴う無感動」は、ベルクソンの「笑い」の中でもとくに重要なポイントだと思います。「笑いに伴う無感動」とは、“人は共感して笑うのではなく、対象を客観的に見て笑う”というような意味で、逆に言うと、“人は笑うべき対象に共感を見出した時点で笑えなくなる”とも説明できます。

“笑いに伴う無感動”について、本書には以下のように書かれています。


通常、笑いに伴う無感動というものを指摘したい。
滑稽は、極めて平静な、
極めて取り乱さない精神の表面に落ちてくるという条件においてでなければ、
その揺り動かす効果を生み出しえないもののようである。
われ関せずがその本来の環境である。


笑いには情緒より異常の大敵はない。


常に物に感じ易く、生の合唱に調子が合っており、
あらゆる事件が感情的な共鳴を伴うようになっている心の人びとは、
笑いを知ることもなければ、理解することもできないであろう。



ベルクソンの考え方では、“笑い”と“共感性”が対立するということです。最近笑いが減っていると思ったなら、様々なことに感じやすくなっていて、あまり物事を客観的に見られなくなっている可能性があるかもしれません。また逆に、いつも笑ってばかりいる人や、あまりにもブラックなユーモアで笑ったり、人とタイミングが違うところで笑ったりしている場合は、ベルクソンの考え方から言うと、共感性が薄くなっているということです。



○笑いの中の社会性

また、ベルクソンは、笑いの中の社会性を指摘しています。


笑いはこだまを必要としているように思われる。
だが、無限ではなく、一つの円内で進行する。
つまり、笑いは、常に一つの集団の笑いである。



また、次のような言葉もあります。


笑いは何よりもまず矯正である。
屈辱を与えるように出来ている笑いは、
笑いの的となる人間につらい思いをさせなければならぬ。
社会は笑いによって人が社会に対して振舞った自由行動に復讐するのだ。



簡単に言うと、人は“はみだし者”に笑うということでしょうか。“笑い”には、“はみだし者”を笑うことによって“はみだしている”ということに気付かせ、社会の均衡を保つ役割があるということです。このあたりが「笑いに優越感が潜んでいる」と言われる所以だと思いますが、よく考えてみたいところです。


“笑い”についての論点はまだほかにもあるかと思いますが、ベルクソンの『笑い』は、“笑い”についての古典的一冊ですので、まず読んでみたい一冊です。


○他の“笑い”関連の本
人はなぜ笑うのか―笑いの精神生理学 笑いの治癒力 パッチ・アダムス いま、みんなに伝えたいこと―愛と笑いと癒し 
| 哲学・思想・宗教の名言・格言 | 02:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

アラン 『四季をめぐる51のプロポ』

■哲学者の名言・格言 『四季をめぐる51のプロポ』


終えることによって始めない人は、始めることができない。



哲学には「石」のような哲学もあれば、「幸福」な哲学もある。


何が問題なのかが完全にわかったら、その問題は解決されている。
したがって解決とは問いの真に明晰な把握にほかならない。


大とは小の合計にすぎない。


謙遜のなかには、まだあまりに多くの野心があると、ぼくは思う。
第一の点は、自分に求めている徳を、他者に要求しないことである。


それがはたしてよかったのか悪かったのかは、人の知りえないことである。
坂を転がる石はどんな石も、他の石を転がしてしまう。


いつも存在するものに満足しなければならない。それがよろこびだったら、もっといい。




四季をめぐる51のプロポ】より

四季をめぐる51のプロポ
四季をめぐる51のプロポ
アラン, 神谷 幹夫




■補足
Alain(1868-1951)
アランはフランスの哲学者。
アランはペンネームで、本名はEmile-Auguste Chartier。

『四季をめぐる51のプロポ』は、
四季の移り変わりの中で人間世界を考察した、51編の断章。
プロポとはアラン自身が考え出した文学ジャンル。
短いエッセイのようでもあり、
文学的かつ哲学的な文章でもあり、という印象です。


『四季をめぐる51のプロポ』の中に、


人間は水と岩からなっている。水によって若返り、岩によって老いる。


という言葉が出てきますが、
アランの“水の思想”について、
少し他の水の思想と関連させながら書いてみます。

日本的な文化と言われる“水に流す”という考え方があります。
水で身を清める“禊(ミソギ)”の思想から由来しているとも言われますが、
水を理想とし、水の姿から学ぼうとする思想は、
実際には古今東西にあるものです。


“上善は水の如し。水はよく万物を利して、争わず”
と言ったのは中国の思想家、老子で、
“万物の根源は水である”と言ったのはギリシャの哲学者タレスです。

タレスの思想自体はほとんど伝わっていませんが、
アランの水の思想も、
日本的“水に流す”思想と近いところがあり、
“流動的で忘れっぽいもの”を美徳としています。


航跡は何も記さない。
そして嵐の過ぎ去った後の海は、相変わらずの、しかもつねに新しい海である。
byアラン


自分のこころの安らかさと、
流れる身体の均衡と勇気のある忘却を再び見い出すことだろう
byアラン


自分の内でも自分の外でも、
航跡に浸した下着のように、大海の波で自己を洗う者は幸いである。
byアラン



アランは、心と身体を固定したものと考えるのではなく、
水のように流動的なものに意識することを勧めています。
循環が滞ることのないようにすることが、
心の健康にも、身体の健康にとっても大切なことだということでしょう。


また、なにかで記憶を反芻する事もあるかと思いますが、
アランが“勇気のある忘却”と言っているように、
“忘却力”も心の健康にとって必要なものかもしれません。


『四季をめぐる51のプロポ』は詩的で難解な文章ですが、
所々に鋭い考察や諦観した人間観が感じられ、興味深く読める一冊です。


■サイト内関連記事
アラン『幸福論』
| 哲学・思想・宗教の名言・格言 | 03:02 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

バートランド・ラッセル『幸福論』

■哲学者の名言・格言 バートランド・ラッセル『幸福論』



幸福の秘訣は、こういうことだ。あなたの興味をできるかぎり幅広くせよ。
そして、あなたの興味を惹く人や物に対する反応を敵意あるものではなく、
できるかぎり友好的なものにせよ。



人間、関心を寄せるものが多ければ多いほど、ますます幸福になるチャンスが多くなり、
また、ますます運命に左右されることが少なくなる。
かりに、一つを失っても、もう一つに頼ることができるからである。


最も満足すべき目的とは、一つの成功から次の成功へと無限に続いて、
決して行き詰ることのない目的である。
そして、この点で建設は、破壊よりも一段と大きな幸福の源であることがわかるだろう。


首尾一貫した目的だけでは、人生を幸福にするのに十分ではない。
しかし、それは、幸福な人生のほぼ必須の条件である。


あきらめには、二つの種類がある。
一つは絶望に根ざし、もう一つは不屈の希望に根ざすものである。


幸福な人生は、不思議なまでに、よい人生と同じである。





ラッセル幸福論】より

ラッセル幸福論
ラッセル幸福論
B. ラッセル, 安藤 貞雄




■補足
Bertrand Arthur William Russell(1872-1970)
バートランド・ラッセルはイギリスの哲学者・数学者。

『ラッセル幸福論』では、
幸福は、関心を自己の内ではなく外に向けることにあり、
その関心を敵意的なものではなく、好意的なものにしていくことが、
幸福の秘訣であると主張しています。

また、
退屈、ねたみ、罪の意識、被害妄想、世間に対する怯えなど、
心のさまざまな側面を精神分析的に探究されている一冊でもあります。


■サイト内関連記事
ヒルティ 『幸福論』第二部
ヒルティ 『幸福論』第一部
アラン 『幸福論』

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カール・ヒルティ 『幸福論 第二部』

■思想・哲学の名言・格言 ヒルティ『幸福論』



人間を知ることは、人を観察する者がまず確かな自主性を持ち、
またなんらの欲望もいだかぬとき、
つまり観察する者の側で一切の利己心を
できるだけ完全に捨て去るときのみに可能である。



怒りはたいてい隠れた恐れにすぎない。
怒る人は勇気ある人ではなくて、恐れているのである。


まだ多くの経験をつまない人生の第一段階において、
対人関係の最大の危険は、人間をあまりにも重視することであり、
第二段階では、人間に対してあまりにも無関心になりすぎることである。


人間の真の誠実は、たとえば礼儀正しさと同じように、
小さなことに対するその人の態度にあらわれる。


交際相手としては決して愉快ではないが、しかし最も役に立つのは、敵であろう。
それは、彼らが将来友となる場合も間々あるから、というだけではない。
とりわけ、敵から最も多く自分の欠陥を率直に明示され、
それを改めるべく強い刺戟をうけるからであり、
また、敵は大体において、人の弱点について最も正しい判断を持つからである。


悪に出会ったら、それを赦すよりも忘れる方がはるかにまさっている。
赦すのは、まだ幾らか苦々しいあと味が残り、
また「下らぬ」侮辱者を超然と見下ろそうとする一種の傲慢がつきまといやすい。


高貴であるためにはいくらか愚かさも必要である。
しかもこの愚かさは人間のあらゆる知恵よりも賢いものだ。





幸福論 第2部】より

幸福論 第2部
幸福論 第2部
ヒルティ, 草間 平作, 大和 邦太郎




■補足
ヒルティ『幸福論 第2部』は、
岩波書店から出ているカール・ヒルティ「幸福論」の第二部。

敬虔なクリスチャンのヒルティによる「幸福論」は、
とても倫理的・宗教的な内容ですが、
具体的で、実際的・実践的な幸福論でもあります。

また、人間の陥りやすいパターンや癖、
人間の行動や態度の奥にある、自分では気付き難いような思考など、
よく観察・思索されている一冊です。


ちなみに、「幸福論」の題名で最も有名なものには、
アラン・ヒルティ・ラッセルの三者の「幸福論」がありますが、
三種の「幸福論」を比べて読むと面白いと思います。

ラッセルの「幸福論」はやや精神分析的、
アランの「幸福論」はストア哲学的、
ヒルティの「幸福論」はキリスト教的という感じで、
違いがあり、読む人によって好みが分かれると思います。

アラン『幸福論』
ラッセル『幸福論』



ただ、三者の幸福論ともに、共通するところがあります。

幸福を、自分の内部だけで完結するものでなく、
自分を離れた、外的な環境や社会に対しての関心や献身的行動にこそ幸福があると、
口を揃えて語っています。


我を忘れて自分の仕事に完全に没頭することのできる働きびとは最も幸福である
byヒルティ

自分のことを考えるな。遠くを見よ。
byアラン

人間、関心を寄せるものが多ければ多いほど、
ますます幸福になるチャンスが多くなる
byラッセル



また、
外部から受ける影響に対しての、
心の態度のあり方を変えることによる“幸福”も語られています。


幸福に生活しようとする人は、
何よりもまず自分の「気分」から完全に解放されることが必要である。
byヒルティ

幸福の秘訣のひとつは自分自身の不機嫌に無関心でいることだと思う。
byアラン

不幸な人は、概して、不幸な信条をいだくのに対して、
幸福な人は幸福な信条をいだく。
byラッセル



外的なものに対しての献身的行動や関心にこそ幸福があるという面と、
自分自身の心の態度やあり方を変えることによる幸福という二つの面が
三者の「幸福論」に共通する考え方であるようです。


アラン『幸福論』
ラッセル『幸福論』
ヒルティ『幸福論』は、
“幸福な人生”を生きたいと願う人に、必読の書籍です。


■サイト内関連記事
アラン『幸福論』
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ソロー 『森の生活』

■思想家の名言・格言 『森の生活』


君の眼を内に向けよ、しからば君の心のなかに
まだ発見されなかった一千の地域を見出すであろう。
そこを旅したまえ、
そして自家の宇宙誌の大家となれ。



なぜ人はそんなにしっかりと地中に根をおろしたのか、
それに比例してうえなる天に立ちあがらんがためにほかならないではないか。


善は決してまちがいのない唯一の投資である。


土地の表面はやわらかくて人の足によって印しがつけられる。
心を旅する路もまた同様である。


もし君が空中の楼閣を築いたとしても、君の仕事は失敗するとはかぎらない。
楼閣はそこにあるべきものなのだ。こんどは土台をその下に挿しこめばよい。


あら探し屋は天国においてもあらを探す。
貧しくとも君の生活を愛したまえ。


われわれが目醒めうる日のみが曙けるのだ。
さらに新たな日が曙けんとしている。
太陽は夜明けの明星にすぎない。





森の生活―ウォールデン】より

森の生活―ウォールデン
森の生活―ウォールデン
ソーロー, 神吉 三郎



■補足
Henry David Thoreau (1817-1862)
ヘンリー・デイヴィッド・ソローは、アメリカの作家・思想家・詩人・博物学者。
交友関係には超絶主義者のエマソンなど。

ヘンリー・D・ソローは、
森のなか、ウォールデン池のほとりに家を建て、
2年2カ月のひとり暮らしを始めました。

『森の生活』は、
その森での一人暮らしの記録。
文明から切り離された生活を試み、
そこで得た知恵や思想が語られています。

『森の生活』でのソローの語る内容は、
なんとも独特な感覚なのですが、
不思議と普遍性が感じられます。

なぜだかじっくり読んでしまう一冊です。



| 哲学・思想・宗教の名言・格言 | 02:27 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

マーティン・ルーサー・キング 『汝の敵を愛せよ』

■宗教家の名言・格言 『汝の敵を愛せよ』から


許す力に欠けている者は、
愛する力にも欠けている。



われわれは、敵意を取り除くことによって、敵を取り除くことができるのである。


許しは一時的な行為ではなく、永続的な態度である。


神は、われわれが欲しているような横暴な方法で悪を処理するならば、
おそらく、その究極的な目的を台無しにしてしまうであろう。


武装しない愛こそが世界最強の軍隊である。


愛する者は、究極的な現実の意味を解く鍵を発見しているのだ。
憎む者は、性急に虚無を求めるものである。


真の平安、すべての描写と説明を越えている静けさは
嵐のただ中の平和、災厄のただ中の、落ち着きなのだ。


勇気は、生の曖昧さにもかかわらず自己を肯定する生の力である。





汝の敵を愛せよ】より

汝の敵を愛せよ
汝の敵を愛せよ
M.L.キング, 蓮見 博昭




■補足
Martin Luther King, Jr(1929-1968)
マーティン・ルーサー・キングは、
アメリカ合衆国の牧師でノーベル平和賞受賞者。
公民権運動(黒人の公民権の適用を求めた運動)の指導者。

“罪を憎んで人を憎まず”という言葉がありますが、
キング牧師はまさにそのことを実践していた人。
熱心な理想家ですが、差別者に対する憎しみを持たず、
差別を無くそうと平和的な手段でもって、活動を推進していました。

『汝の敵を愛せよ』は、
公民権運動の中心人物であった、キング牧師の信念が語られている一冊です。

| 哲学・思想・宗教の名言・格言 | 01:52 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

カント 『道徳形而上学原論』

■哲学書の名言・格言 『道徳形而上学原論』



君自身の人格ならびに他のすべての人の人格に
例外なく存するところの人間性を
いつでもまたいかなる場合にも同時に目的として使用し、
決して単なる手段として使用してはならない。



君の行為の格律が君の意志によって、あたかも普遍的自然法則と
〔自然法則に本来の普遍性をもつものと〕なるかのように行為せよ。


自分自身の幸福を確保することは義務である。


傾向によるのではなくて、義務に基づいて幸福を促進せよ。


意志は、いっさいの行為において、自分自身に対して法則である。


自由意志と、道徳的法則に従う意志とは、
ひっきょうは同一のものなのである。


絶対に善なる意志は、
その意志の格律が普遍的法則と見なされるところの自分自身を、
常にみずからのうちに含んでいるような意志である。





道徳形而上学原論】より

道徳形而上学原論
道徳形而上学原論
カント, Immanuel Kant, 篠田 英雄




■補足

Immanuel Kant(1724-1804)
イマヌエル・カントは、ドイツの思想家。哲学者。
ドイツ観念論哲学の祖で、批判哲学の提唱者。


■以下、『道徳形而上学原論』の要約

絶対的に善であるものは、我々の善の行為ではなく、
我々の善意志である。

その善意志の背後には義務の概念があり、
義務の概念は道徳的法則に基づく。

また、純粋な意味での道徳的法則は客観的なものだけれど、
我々は、自分なりの主観的な行為の原則(格律)に基づいて行動している。

その格律は、善にも悪にもなり得るもので、
格律が普遍的法則に近づく必要がある。

そこで次の命題


君の行為の格律が君の意志によって、あたかも普遍的自然法則と
〔自然法則に本来の普遍性をもつものと〕なるかのように行為せよ。



が出てくる。
(自分の行為が、誰が行ってもいいような行為になるよう、
 自分の行為の原則を、普遍的な道徳的法則に近づけていきましょう、
 という意味合いでしょうか。)


…とりあえず途中までの大雑把な要約ですが、
大体内容はこんな感じだと思います。

薄い本なので、難解なカントの著作の中でも、
比較的読みやすい一冊だと思います。




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| 哲学・思想・宗教の名言・格言 | 02:12 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |

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