2006.02.27 Monday
『モリー先生との火曜日』
■ノンフィクションの中の名言・格言 『モリー先生との火曜日』
はやばやとあきらめるな、
いつまでもしがみつくな。
人生でいちばん大事なことは、愛をどうやって外に出すか、
どうやって中に受け入れるか、その方法を学ぶことだよ
目に見えるものを信じなければならないときがあるんだ。
他人から信頼してもらうには、
こちらも相手を信頼してかからねばならない――
たとえ自分が暗闇の中にいようと。倒れるときでも。
ほかの人の悩みを聞くのが、私にとってなぜ大切だと思う?
自分の痛み苦しみだけでもうたくさんじゃないか?もちろん、そう。
だけど、人に与えることで自分が元気になれるんだよ。
「その場に完全に存在しているっていうことが大事だと思う。」
「つまり、誰かといっしょにいるときには、その人とまさにいっしょでなければいけない。」
人間はあぶないと思うと卑しくなる。
危険を感じれば、自分のことしか考えなくなる。
問題は、われわれがみんな似たようなものであることを信じないところにある。
自分を許せ。人を許せ。
【モリー先生との火曜日】より
普及版 モリー先生との火曜日
ミッチ・アルボム, 別宮 貞徳
■補足
『モリー先生との火曜日』はノンフィクションものの一冊。
「人生の意味」について語られた、
毎週火曜日の「人生最後のふたりだけの授業」の記録です。
スポーツコラムニストとして活躍するミッチ・アルボム氏が、
学生の頃の先生で、ALSという難病にかかった、
アメリカの心理学者モリス・シュワルツ氏(モリー先生)に、
人生に関する質問をしていきます。
師との出会いといいますが、
こんないい先生なかなかいるものじゃないという感じです。
ミッチ・アルボム氏は、読者に次のように語りかけています。
あなた方は、ほんとうの先生を持ったことがあるだろうか?
あなた方のことを、荒削りだが貴重なもの、
英知をもって磨けばみごとに輝く宝石になると見てくれた人を。
また、本の中で、
特に印象的な会話が二つほどありましたので紹介します。
何でもいい。ある感情を例にとろう。
女性への愛でも、愛する者を失った悲しみでも、
私が今味わっているような死にいたる病による恐怖、苦痛でもいい。
そういった感情に尻ごみしていると――
つまり、とことんそれとつき合っていこうという考えを持たないと――
自分を切り離すことはできない。
いつもこわがってばかりいることになる。
痛みがこわい、悲しみがこわい、
愛することにつきものの傷つくことがこわい。
ところが、そういた感情の中に自分を投げ込む、
頭かどーんととびこんでしまう――
そうすることによって、その感情を十分に、くまなく経験することができる。
痛みとはどういうものかがわかる。愛とは何かがわかる。悲しみとは何かがわかる。
そのときはじめてこう言えるようになるんだ。
「よし、自分はこの感情を経験した。その感情の何たるかがわかった。
今度はしばらくそこから離れることが必要だ。」
「先生、もし申し分なく健康な日が一日あったとしたら、何をなさいますか?」
「そうだな…朝起きて、体操をして、ロールパンと紅茶のおいしい朝食を食べて、
水泳に行って、友だちをお昼に呼ぶ。
一度に二、三人にして、みんなの家族のことや、問題を話し合いたいな。
お互いどれほど大事な存在かを話すんだ。」
「お互いどれほど大事な存在かを話すんだ。」
というあたり、なかなかいえるセリフじゃありません。
モリー先生の気取らない性格が現われているように思います。
とてもいい本です。
教育関係の人、涙腺の弱い人等に特にオススメの一冊です。
はじめまして、ちーと申します。
「モリー先生との火曜日」についての記事で、こちらを紹介させていただきました。読んだのがもう半年ほど前なので、うろ覚えの部分もあったのですが、自分の印象に残っていた部分をこちらで確認させていただきました。ありがとうございました。