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アラン『幸福論』

■哲学・思想の名言・格言 アラン『幸福論』


幸福だから笑うわけではない。
笑うから幸福なのだ



悲しみは病気にほかならず、
だからこそあれこれ理屈なぞ考えずに、
病気としてがまんしなければならない。


自分で放ったすべての矢が自分にもどってくる。
自分こそ自分の敵なのだ。


眠れないことを心配する人は、眠るに適した状態にはないし、
胃の心配をする人は、消化に適した状態にはない。
したがって、病気のまねをするよりは、健康のまねをするべきであろう。


成功したから満足しているのではない。
満足していたからこそ成功したのだ。


もし喜びをさがしにいくなら、まずなによりも喜びを蓄えることだ。


他人を許そうと思うならば、
自分を許すということが、第一条件であることがしばしばである。


自分の外部に言いわけをさがす人たちが
決して満足することがないのに反して、
自分のあやまちにまともに立ち向かい、
「おれはまったくばかだった」と言う人たちは、
そのあやまちの経験を消化して、強くまた快活でいるということだ。


「音楽が好きになりたいものだ」と言う。
しかし、なによりもまず音楽をやってみることだ。


社会は、なにも要求しない人には、なにひとつあたえない。
ここで要求するというのは、たえずつづけて要求することの意味だ。


浮ついた拝金主義者は裁かれる。
浪費したがる者は、すこしもかせげないだろう。
これは当然の裁きだ。かれがしたいのは、浪費することであり、
かせぐことではないからだ。


だれもがゲーテではない。しかし、だれでも自分ではある。


ゲーテでない人間は、ゲーテであろうとは欲しなかったのだ。


習慣は一種の偶像であって、
私たちがそれに服従することによって力をもつのだ。


果実でさえも味をよくする方法があるのだ。
結婚とか、その他のすべての人間関係に関してはなおさらのことである。


社会というものは、天気や風のぐあいで居心地が
よくなったり悪くなったりする木陰のようなものではない。
それどころか、魔法使いが雨を降らしたり、
天気にしたりする奇跡の場所である。


人間は、意欲し創造することによってのみ幸福である。


名高い山頂まで電車で運ばれた人は、
登山家と同じ太陽を見ることはできない。


行動が楽しみを追い求めると考えるのはまちがいである。
なぜなら、楽しみは行動にともなって生まれるものだからである。


人を喜ばす富は、さらに計画や仕事を欲する富である。


幸福になるには、幸福になるしかたを学ばなければならない。
幸福はいつでもわたしたちを避ける、と言われる。
人からもらった幸福についてならそれは本当である。
人からもらった幸福などというものはおよそ存在しないものだからである。


知れば知るほど、学ぶことができるようになる。


自分のことを考えるな。遠くを見よ。


思考は肉体を開放して、これをわたしたちの
真の祖国である宇宙にかえすべきである。


知るとは、どんなささいな物事でも
どのように全体に結びついているかを理解することだ


見るとは、細部を経めぐり、一つ一つにすこしずつ立ち止まり、
そして、ふたたび、全体を一目で把握することである。


過去と未来は、わたしたちがそれを考えるときにしか存在しない。
それらは考えであって、事実ではない。


悲しみはいつも自分の足もとにある。
しかし、もはや自分の目の前にはない。


自分の注意のすべてをかなり困難な行動に向ける人、
そいういう人は完全に幸福である。


小雨が降っているとする。あなたは表に出たら、傘をひろげる。
それでじゅうぶんなのだ。
「またいやな雨だ!」
などと言ったところで、なんの役に立とう。


まず幸福であれ。
思うに、幸福とは平和からうまれる果実ではない。
幸福とは、平和そのものなのだ。


誤った意見をとり除いたとしても、
そのために結石がなおるわけではない。
しかしすくなくとも、恐怖からはなおるのである。


幸福の秘訣のひとつは自分自身の不機嫌に無関心でいることだと思う。


人間は自分以外にはほとんど敵はない。
人間は、自分のまちがった判断や、杞憂や、絶望や、
自分自身にさし向ける悲観的なことばなどによって、
自分が自分自身に対してつねに最大の敵なのである。


未来には、ひとりでにできる未来と、自分でつくる未来とがある。
ほんとうの未来はこの二つから成り立っている。
嵐や日食のように、ひとりでにできる未来に関しては、
希望をいだいてもなんの役にも立たない。


話し相手の気分を用心深くとりあつかう者は、
そうすることで自分自身の気分に対する医者となる


悪い音楽に対して口笛を吹いて野次るよりは、
良い音楽に対して拍手をおくるほうが、
よりよく、より正しく、より効果的である。


友情にはすばらしい喜びがある。
喜びが伝染するものだということに注目すれば、
このことは難なく理解される。


礼儀というものはただ、人が考えもせずに行い、
表わすつもりでないものを表わす行動に関係する。


優雅さとは、だれをも不安にさせず傷つけもしない、
幸福な表現と動作である。


真の礼儀とは、むしろ、
すべての摩擦を和らげる人から人へと伝わっていく喜びのうちにある。


真の節制は、衛生の妹であり、体操と音楽との娘なのだ。


幸福に関しては、推論することも予見することもできないのである。
いま現にもっていなければならないのだ。
幸福が未来のなかにあるように思われるときは、
よく考えてみるがいい。
それは、あなたがすでに幸福を持っていることなのだ。


幸福とは、報酬を求めなかった人々のところへくる報酬なのだ。


倒れつつある英雄にも幸福がある。
…かれらが幸福であったのは、祖国のために死んだからではない。
むしろその反対に、
かれらは幸福であったからこそ、死ぬ力をもっていたのだ。


悲観主義は気分に属し、楽観主義は意思に属する。





アラン【幸福論】より

幸福論
幸福論
アラン, Alain, 白井 健三郎




■補足
Alain(1868-1951)
アランはフランスの哲学者。
アランはペンネームで、本名はEmile-Auguste Chartier。

アランの幸福論はストア主義の影響が強く現れています。

世界を外界と内界(自分の心)に分け、
自分の支配権にあるのは内界のみであり、
外界は完全に支配することができないとして、
心の内の統御を求めるのがストア主義です。

ストア主義では考えや認識を変えることが重視されますが、
アランの幸福論は、外界に左右される心を、
考えだけでなく行動を変えることで変えようとする
実践的な幸福論になっているところが特徴だと思います。



>>ブログルポ


| 哲学・思想・宗教の名言・格言 | 22:20 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
Comment
管理者の承認待ちコメントです。
2008/01/12 1:45 PM, from -
逆も又 真成り と、言う事か。柔軟性持つ。
2013/05/12 11:08 PM, from mlklpon









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