ドロシー・ロー・ノルト『子どもが育つ魔法の言葉』

■教育の名言・格言『子どもが育つ魔法の言葉』



この世には愛がある、その愛を探し求めよ、
というのはおかしいのではないかとわたしは思います。
愛とは、わたしたち自身の心の中にあるものです。
心に愛のある人が、愛を生み出すことができるのです。



まず、親自身が手本となることです。
手本といっても、完璧な手本になる必要はありません。
何があってもいっさい弱音を吐かないような
強靭な精神の持ち主になる必要はないのです。
逆境に陥ったとき、挫けずに立ち向かうことができれば十分なのです。


親自身が自分の欠点も長所も
すべてそのまま素直に受け入れている人であれば、
子どもはそんな親の姿から様々なことを学ぶことができます。


人間は、その人が何を持っているかで
その価値が決まるわけではありません。
子どもは、親が自分が自分ゆえに愛してくれる姿から
大切な価値観を学ぶのです。


子どもが大きくなってから、親が、さあ時間ができたと、
子どもに向かい合おうとしても、子どもは、
もうそんな親は必要とはしなくなっているものです。
子どものために時間を作るなら、
子どもが小さいころからそうしなくてはならないのです。


親としていちばん大切なことは、子どもになにを言うかではありません。
また、心の中で何をおもっているかでもありません。
子どもと一緒に何をするか、なのです。
親の価値観は、行動によって子どもに伝わるのです。






ドロシー・ロー・ノルト【子どもが育つ魔法の言葉】より

子どもが育つ魔法の言葉
子どもが育つ魔法の言葉




■補足
子どもが育つ魔法の言葉の著者、ドロシー・ロー・ノルトは
40年にわたって家庭関係の授業や公演、
子育てコンサルタントを行っています。

子どもが育つ魔法の言葉の目次にも使われている
著者ドロシー・ロー・ノルト作の『Children learn what they live』という詩は、
加藤諦三氏により
『アメリカインディアンの教え』
として、日本において紹介されていました。
これが誤解を生んでいるようです。
二つを並べて紹介します。



【アメリカインディアンの教え】より

批判ばかり受けて育った子は非難ばかりします
敵意にみちた中で育った子はだれとでも戦います
ひやかしを受けて育った子ははにかみ屋になります
ねたみを受けて育った子はいつも悪いことをしているような気持ちになります
心が寛大な人の中で育った子はがまん強くなります
はげましを受けて育った子は自信を持ちます
ほめられる中で育った子はいつも感謝することを知ります
公明正大な中で育った子は正義心を持ちます
思いやりのある中で育った子は信仰心を持ちます
人に認めてもらえる中で育った子は自分を大事にします
仲間の愛の中で育った子は世界に愛をみつけます


【Children learn what they live】

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる
「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう
励ましてあげれば、子どもは、自信を持つようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ
愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分を好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる
分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを学ぶ
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ
やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、
この世の中はいいところだと思えるようになる



http://www.noogenesis.com/pineapple/Kristone.html
などを見るとわかりますが、
上の『アメリカインディアンの教え』の文は、
古いバージョンの翻訳のようで、
下の文は、作者自身が手を加えた新しいバージョンのようです。


また、さまざまな引用や書き換えから、
『Children learn what they live』という詩は、
間違った形で紹介されてきたようです。
その中の書き換えでも、
著者ドロシー・ロー・ノルトは、


“和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、
この世の中に愛を見い出せるようになる。”

という詩の最後の行の書き換えに、
“譲れない”ものを感じたようです。


この世には愛がある、その愛を探し求めよ、
というのはおかしいのではないかとわたしは思います。
愛とは、わたしたち自身の心の中にあるものです。
心に愛のある人が、愛を生み出すことができるのです。
…わたしは、子どもたちが人生の荒波にもまれても挫けず、
希望を持って生きてほしいという願いをこめて、
この最後の一行を書いたのです。

愛は探し見い出すものではなく、
自分で生み出すというもので、
この世の中の良いところを見て、
希望をもって生きてほしい、
と著者は訴えかけています。


コメント

アメリカインディアンの教えの言葉が
好きでドロシー先生の本も好きで
検索したら、こちらを「最初にクリックして
たどり着きました。
このように良い言葉ばかりをまとめてあるのは
素晴らしいです
ありがとうございます

国境を超え、宗教を超え、素晴らしい言葉が綴られています。
暖かい気持ちになります。
有り難うございました。

  • ZENT
  • 2013/06/17 18:25
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