パスカル『パンセ』

■数学者・哲学者の名言・格言 パスカル『パンセ』



世の中にはあらゆるよい格言がある。
人はそれらの適用にあたって、しくじるだけである。



われわれは事物を別の面から見るばかりではなく、別の目でもって見る。
だからそれらの事物が同じように見えるわけがない。


人間はひとくきの葦にすぎない。
自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。


空間によっては、宇宙は私をつつみ、一つの点のようにのみこむ。
考えることによって、私が宇宙をつつむ。


神があるということは不可解であり、神がないということも不可解である。


神があるというほうを表にとって、損得を計ってみよう。
次の二つの場合を見積もってみよう。
もし君が勝てば、君は全部もうける。もし君が負けても、何も損しない。
それだから、ためらわずに、神があると賭けたまえ。


人がその偉大さを示すのは、一つの極端にいることによってではなく、
両極端に同時に届き、その中間を満たすことによってである。


人間は天使でも獣でもない。そして、不幸なことには、
天使のまねをしようとおもうと、獣になってしまう。


謙虚さについて謙虚に話す人は少なく、
貞潔について貞潔に話す人はすくなく、
懐疑論について疑いながら話す人は少ない。





パスカル【パンセ】より

パンセ
パンセ
パスカル, 前田 陽一, 由木 康




■補足

Blaise Pascal(1623-1662)
ブレーズ・パスカルは、フランスの数学者、物理学者、哲学者。
“パスカルの定理”、“パスカルの原理”、
“パスカルの三角形”など多くの研究成果を残しています。

『パンセ』はパスカルの死後にまとめられた遺稿集。


人間は考える葦である。


もし君が勝てば、君は全部もうける。もし君が負けても、何も損しない。
それだから、ためらわずに、神があると賭けたまえ。


クレオパトラの鼻。
それがもっと短かったなら、大地の全表面は変わっていただろう。



これらの言葉は、数多くの書籍の中で引用されています。

思想としてはジャンセニスムの擁護者としての特徴がよく出ています。
(ジャンセニスムとは人間の本性を罪深いものとし、
人は神の恩寵によって救われるとするもの。
カルヴァンの予定説に近い思想です。)





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| 哲学・思想・宗教の名言・格言 | 23:52 | comments(1) | trackbacks(2) | - | - |

福沢諭吉『学問のすすめ』

■偉人の名言・格言 福沢諭吉『学問のすすめ』



天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり


天は富貴を人に与えずしてこれをその人の働きに与うものなり


学問をするには分限を知ること肝要なり


自由独立の事は、人の一身に在るのみならず、一国の上にもあることなり


独立の気力なき者は必ず人に依頼す、
人に依頼する者必ず人を恐る、
人を恐るる者は必ず人に諂うものなり


内に居て独立を得ざる者は、外に在っても独立すること能わざる


すべて世の物事を精しく論ずれば、
利あらざるものは必ず害あり、得あらざるものは必ず失あり、
利害得失相半ばするものはあるべからず


未だ試みずして先ずその成否を疑う者は、これを勇者と言うべからず


有用の人を取って無用の事をなさしむるは策の拙なるものと言うべし


国の文明は形をもって評すべからず。
…この物あらざればかの学校以下の諸件も実の用をなさず、
真にこれを文明の精神と言うべき至大至重のものなり。
蓋しその物とは何ぞや。
云く、人民独立の気力、即ちこれなり。


大凡(おおよそ)世間の物事、
進まざる者は必ず退き、退かざる者は必ず進む。
進まず退かずして瀦滞(ちょたい)する者はあるべからざるの理なり。


読書は学問の術なり、学問は事をなすの術なり


既に自由独立と言うときは、
その字義の中に自ずからまた義務の考えなかるべからず。


古来義士なきに非ず、ただその数少なくして算等に合わぬなり。


天下を治むるを知って身を修むるを知らざる者は、
隣家の帳合に助言して自家に盗賊の入るを知らざるが如し。


信の世界に詐欺多く、疑の世界に真理多し。
…然りと雖ども、事物の軽々信ずべからざること果たして是ならば、
またこれを軽々疑うべからず。


よく東西の事物を比較し、
信ずべきを信じ、疑うべきを疑い、取るべきを取り、捨つべきを捨て、
信疑取捨その宜しきを得んとするはまた難きに非ずや。


人の心事は高尚ならざるべからず、
心事高尚ならざれば働きもまた高尚なるを得ざるなり。


学者を評せんと欲すれば学者たるべし。
医者を評せんと欲すれば医者たるべし。






福沢諭吉【学問のすすめ】より

学問のすすめ
学問のすすめ
福沢 諭吉




■補足
福沢諭吉学問のすすめは 、
1872年(明治5年2月)発刊、明治の大ベストセラーです。
実学を推奨し、
日本全体の“学ぶ意欲”を高め、
日本の近代化に大きな影響を与えた一冊です。


| 哲学・思想・宗教の名言・格言 | 02:08 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

マザー・テレサ『生命あるすべてのものに』

■宗教者の名言・格言 マザー・テレサ『生命あるすべてのものに』



愛は家庭で始まります。
自分自身の家庭に愛が持てなければ、
外の人びとを愛することはできません。



祈りの実りは、知恵となります。
さらに知恵の実りは、愛となり、
愛の実りは奉仕となるのです。


平和のために祈るには、まず許すことから始めなければなりません。


もし私たちが、自分の心のなかに平和を持っていなければ、
平和のために働くことも、平和をもたらすこともできません。


私たちは傷つくまで愛さねばなりません。


まことの愛というものは、
私たちが、分かちあうことを自分で会得したとき、
はじめてもたらされるものなのです。
私たちの執着が少なければ多く与えることができますし、
私たちが自分で多くかかえこんでいれば、わずかしか分けられないのです。


ほんとうの勉強の目的というのは、
私たちが国や神に奉仕するために、
より大きな能力を持ったよりよき人間になることなのです。


喜びのときも悲しみのときも、
成功したときも失敗したときも、
その人の愛があなたのかたわらにあるとわかる、
それこそがほんとうの友情であるわけですね。
ですから、どんな状況にあっても変わらないのがほんとうの友情です。


どんな人にあってもまずその人のなかにある美しいものを見るようにしています。
この人のなかでいちばんすばらしいものはなんだろう、
そこから始めようとしております。
そうしますと、かならず美しいところが見つかって、
そうすると私はその人を愛することができるようになって、
それが愛のはじまりとなります。





マザー・テレサ【生命あるすべてのものに】より

生命あるすべてのものに
生命あるすべてのものに




■補足
Mother Teresa(1910-1997)
マザーテレサは、“神の愛の宣教者会”の設立者。
貧しい人々のための精力的な救済活動を行い続けていました。
堕胎防止のための活動なども行っています。

生命あるすべてのものには、
マザー・テレサ来日時の講演録。

マザー・テレサの有名な言葉で、

『愛の反対は憎しみではなく、無関心である。』

という言葉がありますが、
通常であれば見放されている人々の為に
生き続けた人物だからこそ言えた言葉だと思います。

また、ノーベル平和賞受賞時のインタビューで、
「世界平和のためにわたしたちはどんなことをしたらいいですか」
と訪ねられたマザー・テレサは、

『家に帰って家族を大切にしてあげてください』
と答えています。

基本はあくまで身近なところの愛で、
そして世界への愛と広がっていくことが大切だというところでしょうか。
| 哲学・思想・宗教の名言・格言 | 00:53 | comments(0) | trackbacks(1) | - | - |

中村元・訳『ブッダ・神々との対話』

■宗教・思想の名言・格言『ブッダ・神々との対話』



“わたしは勝れている” “わたしは等しい”または
“わたしは劣っている”と考えている人は、それによって争うであろう



他の人々にとっても、それぞれの自己が愛しいのである。
それ故に、自己を愛する人は、他人を害してはならない


ひとが身体でなし、またことばや心でなすところのもの(=業)、
―それこそ、かれ自身のものである





ブッダ・神々との対話】より

ブッダ神々との対話―サンユッタ・ニカーヤ1
ブッダ・神々との対話―サンユッタ・ニカーヤ1
中村 元




■補足
ブッダ・神々との対話は原始仏教の聖典の一つ
『サンユッタ・ニカーヤ』の一部を邦訳した一冊。
『ブッダ悪魔との対話』と対になっています。

| 哲学・思想・宗教の名言・格言 | 00:11 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

守屋洋『新釈菜根譚』

■東洋思想の名言・格言『新釈菜根譚』



権謀術数を知らないのは高尚な人物である。
だが、それを知りながら使わない人物こそもっとも高尚だといえる。



かりに悪事をはたらいても、
人に知られることを恐れているなら、まだ見所がある。
せっかく善行を積んでも、
早く人に知られたいと願うようでは、すでに悪の芽を宿している。


幸福は求めようとして求められるものではない。
常に喜びの気持ちをもって暮らすこと、
これが幸福を呼びこむ道である。


汚ない土には作物が育つが、
澄みきった水には魚もすまない。


ひまなときでも、時間をムダにしてはならない。
その効用は、多忙になったとき現れてくる。


静寂な環境のなかで得られる心の静かさは、
ほんものの静かさではない。
活動のなかで心の静かさを保ってこそ、
最高のあり方を体得した者といえよう。


人格は、包容力が高まるにつれて向上し、
包容力は見識が深まるにつれて高まる。


自分を反省する人にとっては、
体験することのすべてが自分を向上させる栄養剤となる。


威厳を示すときには、初めきびしくして、
後になるほどゆるめていくのがよい。
初めゆるくして後できびしくすれば、相手はきびしさに耐えかねる。


この世はけっしてけがれてもいないし、苦しみの海でもない。
そうさせているのは、かれら自身の心なのだ。





守屋洋【新釈菜根譚】より

新釈菜根譚
新釈菜根譚




■補足
菜根譚は十七世紀の初めごろ、中国の洪自誠によって書かれた本。
仏教、儒教、道教をミックスさせた思想。
栄達を求めるわけではなく、世捨て人にもならず、
バランスのとれた内容になっています。



| 哲学・思想・宗教の名言・格言 | 00:31 | comments(0) | trackbacks(1) | - | - |

アラン『幸福論』

■哲学・思想の名言・格言 アラン『幸福論』


幸福だから笑うわけではない。
笑うから幸福なのだ



悲しみは病気にほかならず、
だからこそあれこれ理屈なぞ考えずに、
病気としてがまんしなければならない。


自分で放ったすべての矢が自分にもどってくる。
自分こそ自分の敵なのだ。


眠れないことを心配する人は、眠るに適した状態にはないし、
胃の心配をする人は、消化に適した状態にはない。
したがって、病気のまねをするよりは、健康のまねをするべきであろう。


成功したから満足しているのではない。
満足していたからこそ成功したのだ。


もし喜びをさがしにいくなら、まずなによりも喜びを蓄えることだ。


他人を許そうと思うならば、
自分を許すということが、第一条件であることがしばしばである。


自分の外部に言いわけをさがす人たちが
決して満足することがないのに反して、
自分のあやまちにまともに立ち向かい、
「おれはまったくばかだった」と言う人たちは、
そのあやまちの経験を消化して、強くまた快活でいるということだ。


「音楽が好きになりたいものだ」と言う。
しかし、なによりもまず音楽をやってみることだ。


社会は、なにも要求しない人には、なにひとつあたえない。
ここで要求するというのは、たえずつづけて要求することの意味だ。


浮ついた拝金主義者は裁かれる。
浪費したがる者は、すこしもかせげないだろう。
これは当然の裁きだ。かれがしたいのは、浪費することであり、
かせぐことではないからだ。


だれもがゲーテではない。しかし、だれでも自分ではある。


ゲーテでない人間は、ゲーテであろうとは欲しなかったのだ。


習慣は一種の偶像であって、
私たちがそれに服従することによって力をもつのだ。


果実でさえも味をよくする方法があるのだ。
結婚とか、その他のすべての人間関係に関してはなおさらのことである。


社会というものは、天気や風のぐあいで居心地が
よくなったり悪くなったりする木陰のようなものではない。
それどころか、魔法使いが雨を降らしたり、
天気にしたりする奇跡の場所である。


人間は、意欲し創造することによってのみ幸福である。


名高い山頂まで電車で運ばれた人は、
登山家と同じ太陽を見ることはできない。


行動が楽しみを追い求めると考えるのはまちがいである。
なぜなら、楽しみは行動にともなって生まれるものだからである。


人を喜ばす富は、さらに計画や仕事を欲する富である。


幸福になるには、幸福になるしかたを学ばなければならない。
幸福はいつでもわたしたちを避ける、と言われる。
人からもらった幸福についてならそれは本当である。
人からもらった幸福などというものはおよそ存在しないものだからである。


知れば知るほど、学ぶことができるようになる。


自分のことを考えるな。遠くを見よ。


思考は肉体を開放して、これをわたしたちの
真の祖国である宇宙にかえすべきである。


知るとは、どんなささいな物事でも
どのように全体に結びついているかを理解することだ


見るとは、細部を経めぐり、一つ一つにすこしずつ立ち止まり、
そして、ふたたび、全体を一目で把握することである。


過去と未来は、わたしたちがそれを考えるときにしか存在しない。
それらは考えであって、事実ではない。


悲しみはいつも自分の足もとにある。
しかし、もはや自分の目の前にはない。


自分の注意のすべてをかなり困難な行動に向ける人、
そいういう人は完全に幸福である。


小雨が降っているとする。あなたは表に出たら、傘をひろげる。
それでじゅうぶんなのだ。
「またいやな雨だ!」
などと言ったところで、なんの役に立とう。


まず幸福であれ。
思うに、幸福とは平和からうまれる果実ではない。
幸福とは、平和そのものなのだ。


誤った意見をとり除いたとしても、
そのために結石がなおるわけではない。
しかしすくなくとも、恐怖からはなおるのである。


幸福の秘訣のひとつは自分自身の不機嫌に無関心でいることだと思う。


人間は自分以外にはほとんど敵はない。
人間は、自分のまちがった判断や、杞憂や、絶望や、
自分自身にさし向ける悲観的なことばなどによって、
自分が自分自身に対してつねに最大の敵なのである。


未来には、ひとりでにできる未来と、自分でつくる未来とがある。
ほんとうの未来はこの二つから成り立っている。
嵐や日食のように、ひとりでにできる未来に関しては、
希望をいだいてもなんの役にも立たない。


話し相手の気分を用心深くとりあつかう者は、
そうすることで自分自身の気分に対する医者となる


悪い音楽に対して口笛を吹いて野次るよりは、
良い音楽に対して拍手をおくるほうが、
よりよく、より正しく、より効果的である。


友情にはすばらしい喜びがある。
喜びが伝染するものだということに注目すれば、
このことは難なく理解される。


礼儀というものはただ、人が考えもせずに行い、
表わすつもりでないものを表わす行動に関係する。


優雅さとは、だれをも不安にさせず傷つけもしない、
幸福な表現と動作である。


真の礼儀とは、むしろ、
すべての摩擦を和らげる人から人へと伝わっていく喜びのうちにある。


真の節制は、衛生の妹であり、体操と音楽との娘なのだ。


幸福に関しては、推論することも予見することもできないのである。
いま現にもっていなければならないのだ。
幸福が未来のなかにあるように思われるときは、
よく考えてみるがいい。
それは、あなたがすでに幸福を持っていることなのだ。


幸福とは、報酬を求めなかった人々のところへくる報酬なのだ。


倒れつつある英雄にも幸福がある。
…かれらが幸福であったのは、祖国のために死んだからではない。
むしろその反対に、
かれらは幸福であったからこそ、死ぬ力をもっていたのだ。


悲観主義は気分に属し、楽観主義は意思に属する。





アラン【幸福論】より

幸福論
幸福論
アラン, Alain, 白井 健三郎




■補足
Alain(1868-1951)
アランはフランスの哲学者。
アランはペンネームで、本名はEmile-Auguste Chartier。

アランの幸福論はストア主義の影響が強く現れています。

世界を外界と内界(自分の心)に分け、
自分の支配権にあるのは内界のみであり、
外界は完全に支配することができないとして、
心の内の統御を求めるのがストア主義です。

ストア主義では考えや認識を変えることが重視されますが、
アランの幸福論は、外界に左右される心を、
考えだけでなく行動を変えることで変えようとする
実践的な幸福論になっているところが特徴だと思います。



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| 哲学・思想・宗教の名言・格言 | 22:20 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |

モーリス・メーテルリンク『死後の存続』

■思想・哲学の名言・格言『死後の存続』



いずれの神秘にせよ、同じ理解できないものなら、
それを理解するために人間になし得る限りのことを行った後に、
いちばん壮大な、つまり可能性のいちばん高い神秘に ――
それ自身を除いたほかのすべての神秘を包摂し、
何一つ余すところのない神秘に賭けようではないか。



私にとっては、限られた間だけのものではなく、
永遠に変わらぬものだけが重要なのだ。


死をまだ解明されていない未知の生の一形態と見なし、
誕生を見る目と同じ目で見られるようになろうではないか。
そうすれば、すぐにも新しい生命を迎える歓びにあふれた期待を
死に対しても抱けるようになり、
生と死は墓地の踏み段に
仲良く腰掛けられるようになるだろう。


この地球とまったく変わらない星をまた作り出すには、
諸事情の想像を絶する偶然の一致が必要だなどと考えてはならない。
自分たちが無限に抱かれて生きている
という視点を失わないようにしよう。


小さな囲いの中でわれわれに許されているのは、
ただ最善と思われることに向かって全力を尽くし、
臆せず確信を抱き続けることだ。
われわれの行為は何一つ無駄にはならないという確信を。


無限がわれわれを包容しているように、
われわれも無限を包容している。
無限の息吹は、われわれの呼吸であり、
その目的はわれわれの目的でもある。
人間は自らのうちに無限の存在の全神秘を担っており、
あらゆる点でそこに関与している。





モーリス・メーテルリンク【死後の存続】より

死後の存続
死後の存続
モーリス・メーテルリンク, 山崎 剛




■補足
死後の存続は『青い鳥』で有名なモーリス・メーテルリンクの一冊。
「死」に対してさまざまな角度から考察されています。

当時盛んに行われていて、
メーテルリンク自身も参加した、交霊会に関しての詳細な記述があります。

交霊会とは簡単に言うと、
霊媒師に死者の霊を降ろさせ、霊との対話を試みる集いのこと。

実は、
交霊会は19世紀当時の上流階級で非常に盛んに行われていたことで、
著名な人物が数多く参加しています。
近年日本ではちょっとしたスピリチャルブームですが、
当時は様々な人物を巻き込んで論争が繰り広げられていたようです。


交霊会の企画や参加をしていた人物を以下にあげてみます。

哲学者・心理学者の“ウィリアム・ジェームズ”
詩人の“アルフレッド・テニソン”
「シャーロック・ホームズ」の“コナン・ドイル”
「トム・ソーヤーの冒険」の“マーク・トウェイン”
「不思議の国のアリス」の“ルイス・キャロル”
ダーヴィンとの共同研究者の“アルフレッド・ラッセル・ウォーレス”
犯罪人類学の創始者の“チェーザレ・ロンブローゾ”
分析心理学の創始者の“カール・ユング”
等々…


本書でメーテルリンクは、
霊魂の不滅に対する思索を深めていますが、
交霊会自体に対しては、一歩引いた視点で評価しています。

日本で言うと、
妖怪(心霊現象)を迷信として切り捨てつつも、
霊魂不滅論を書いた井上円了博士あたりの立場に、
やや近いかもしれません。

井上円了博士は東洋大学の設立者。
『井上円了・妖怪学全集〈第4巻〉』の中に『霊魂不滅論』が書かれています。


ちなみに、
シャーロック・ホームズを子供の頃に読んだ人は多いと思いますが、
コナン・ドイルが『心霊主義(スピリチャリズム)のパウロ』と呼ばれるほど、
熱心に心霊主義の研究・講演活動を行っていたことは、
あまり知られていないかもしれません。

コナン・ドイル自身が書いた心霊主義に関するこんな本があります。

コナン・ドイル著『コナン・ドイルの心霊学』


また、ダーヴィンより早く進化論を到達したと言われるウォーレスなどは、
晩年スピリチャリズムに傾倒していきますが、
次のような心霊主義関連の本を残しています。

アルフレッド・R・ウォーレス『心霊と進化と―奇跡と近代スピリチュアリズム』


当時の心霊主義関連で重要な人物は、
バーバネル夫妻(シルバー・バーチ霊関連)
アラン・カルデック
ステイントン・モーゼスあたりだそうですが、
それらの人物以外で、
心霊主義研究以外で有名な人が書いた、心霊主義についての本を読みたい人には、
メーテルリンクの『死後の存続』や、上記の本がオススメです。


当時の交霊会に参加できるわけでもないので、
読者がその真偽を判別することは困難だと思いますが、
死後を含めた、人生に対する深い考察には、考えさせられるところがあるかもしれません。




【サイト内関連記事】 メーテルリンク『青い鳥』
【サイト内関連記事】 メーテルリンク『貧者の宝』
| 哲学・思想・宗教の名言・格言 | 14:21 | comments(0) | trackbacks(2) | - | - |

ヒルティ『幸福論』第一部

■思想・哲学の名言・格言 ヒルティ『幸福論』



人間の本性は働くようにできている。



ひとを幸福にするのは仕事の種類ではなく、創造と成功のよろこびである。


幸福に生活しようとする人は、
何よりもまず自分の「気分」から完全に解放されることが必要である。


人間は元来、自分を改善することも、
改善されることもできないものであって、
ただわずかに、自分自身を脱却して、
より良い性質をさずかり得るだけである。


人間の生活において真に大切なものは、
決して理論ではなく、また信仰でも、愛でもない。
むしろ、信仰すること、愛することができるということである。


愛は元来、神性の一部であって、人間の心には生まれないものである。
ほんとうに愛を持つ人は、
それが自分の所有でないことをはっきり知っているであろう。





カール・ヒルティ『幸福論』第一部より

幸福論 (第1部)
幸福論 (第1部)
ヒルティ, 草間 平作




■補足
カール・ヒルティの幸福論の第一部。
幸福論』はまず仕事論から始まります。
多くの人は、働くことは苦痛(あるいは仕方なくやるもの)で、
休息や遊びに喜びを見出すことが多いかもしれません。
しかし、ヒルティは働くことは喜びであると訴えています。
通常、人生で一番時間を費やすのは仕事。
そう考えると、“仕事を喜び”にすることは非常に重要だということでしょう。

彼はまた、社会主義に対して、
労働者階級の嫉妬に根ざし、憎しみをあおると批判しています。
その後の社会主義国家で粛清に次ぐ粛清が行われたことを考えると、
その本質を見抜いていたと言えるのかもしれません。
彼は憎しみや怒りではなく、心の平和の大切さを著書の中で訴えています。

| 哲学・思想・宗教の名言・格言 | 02:21 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

世界の名著 13 キケロ エピクテトス マルクス・アウレリウス

■思想・哲学の名言・格言『世界の名著 13』



人を悩ませているのは出来事ではなくて、それについての思惑なのだ。
byエピクテトス



出来事が、きみの好きなように起こることを求めぬがいい、
むしろ出来事が起こるように起こることを望みたまえ。
byエピクテトス


外物は私の権内にないが、意志は私の権内にある。
私は善いものや悪いものをどこにさがそうか。
それは内部の私のもののなかにだ。
byエピクテトス


アニュトスもメレトスも、私を殺すことはできよう、
だが、私の魂を傷つけることはできない。
byエピクテトス


人々に復讐する最良の方法は、彼らに同化しないことである。
byマルクス・アウレリウス


おまえの心を明るく愉しいものにしようと思うなら、
ともに生活する人々の長所を思え。
byマルクス・アウレリウス


喪失は変化にほかならず。
byマルクス・アウレリウス


もはや、よき人とはいかなるものか、を討論する期ではない。
そのような人間に実際なることなのだ。
byマルクス・アウレリウス





世界の名著 13 キケロ エピクテトス マルクス・アウレリウス】より

世界の名著 13 キケロ エピクテトス マルクス・アウレリウス (13)
世界の名著 13 キケロ エピクテトス マルクス・アウレリウス (13)




■補足
ストア哲学の思想家たちの著作をまとめた一冊。
エピクテトスやマルクス・アウレリウスの言葉は、
心理学・成功哲学系の本でもよく引用されています。

| 哲学・思想・宗教の名言・格言 | 02:28 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

世界の名著40 キルケゴール

■思想・哲学の名言・格言『世界の名著 40 キルケゴール』



理性は、自分自身を絶対的に超越してしまうこともできないのだ。
それゆえ理性が超越者を考える場合、
実は自己自身のうえにあるものとしか考えられないのである。



私がこの手に証明を握りしめているあいだは、神の存在は現れてこない。
それもなにか別の理由があればともかく、
私がまさにこれを証明しようと力んでいるがゆえにである。
だが、私がこの手を離せば、存在がそこにきているのだ。


信じる者は、可能性という、
絶望にたいする永遠に確かな解毒剤を所有している。





世界の名著 40 キルケゴール】より

世界の名著 40 キルケゴール (40)
世界の名著 40 キルケゴール (40)




■補足
実存主義の哲学者・キルケゴールの主要な著作をまとめた一冊。
“哲学的断片”
“不安の概念”
“現代の批判”
“死にいたる病”
の四章で構成されています。
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